海外のデータを日本人に適応できるのか

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始めてきた方は「このブログを通じて医療従事者と患者さんに伝えたい想い」をお読みください。

東洋経済の記事を興味深く読んだ。記事では、薬に日本人データがほとんどないことや動物実験データを人に適応することの問題を初めとしてもっともらしい指摘が書かれていた。ただ、論理はいい加減だなぁと思う部分も多かった。こういう記事が一本出ると、日本中の医療現場にいる人間があちこちで説明に時間を取られるのである。

「がんは放置」とか「(医師は/薬剤師は)薬は飲まない」とかそういうビジネスは本当に増えたように思う。医療不信も根底にあるのであろう。医者/薬剤師は薬を飲まないと言うのは(普通に考えて分かることであるが)、ハッキリ嘘である。身の回りだけでも薬を飲んでいる医師や薬剤師は数えきれないほどいる。有用なら使えば良く、そうでなければ使わない、それだけのことだ。特にいわゆる代替医療の分野にはサプリやホメオパシーなどに一辺倒なドグマ主義者は多く、薬のことを何もしらないわりに大層な理由をつけて得意気に薬を批判する。いや、何も知らないからこそ安易に一般論でバッサリと批判できるのであろう。一般論と特定論がごちゃ混ぜにするのと誤解が産まれやすく注意が必要である。こういう議論の場合、性質上、特定論をカバーしきれるわけもなく燃え上がりやすい。炎上だ。皆が正しいと思っていることを陰謀論のようにして語ると妙な説得力があり非常に蔓延力が強かったりする。そして、時にこうした意見が市民権を得てしまうのではないかと心配になる。

例えば、分子整合医学(オーソモレキュラー)という分野がある。僕は栄養状態を整えることには何の異論もなく、むしろ大切なことだと思う。この分野の治療家で優れた方が沢山いるのも知っており少なからず影響を受けていると思う。しかし、それ一辺倒のドグマ主義で全てのヒトに適応させるには無理が生じる(こういうことをするのは自分で調べず意見を請け売りするだけの良く分かっていない人な気がしている)。完全に薬をやめさせて、それで症状が悪化しても好転反応とか都合の良い言葉を振りかざし、かえらざる川に送り込むのもまた無責任であろう。だが、僕はこういう情報に触れるたびに、自分が関わる医療が間違っている可能性もあるという疑いを常に持ってものごとを調べてきた。両者を客観的に捉えて少しでも良い情報を選択•発信できれば良いし、もっと良い選択肢があればそちらにいけば良いだろうと思うからだ。実際に、薬に関する文献だけではなく栄養に関する文献も調べたりした。より良い何かがあれば、考えを改めるべきだし、間違ったままの意見を消費者に伝えることを恐れたのである。もちろん、そう完璧足り得ることは永遠にないのだが。

上記の記事には僕に限らず、数々の医学文献を読んで実地の臨床にどう生かすか考えようと勉強している人々が最も聞かれることの1つが書かれていた。それは、海外データはそのまま日本人に使えるのか、ということである。同記事では、この点を論拠として業界を痛烈に批判している。もう一方の論点である動物実験のデータであるが、これをそのまま人間に当てはめることが出来ないのは医療業界で誰もがもっている共通認識であり、あえてどうこういうことでもないかと思う。

それで、海外データをそのまま日本人に使えるのかという問題提起だが、僕はそれに対して特別反論はない。もちろん全部日本人でとったデータがあるなら、その方がより妥当性が高いだろう。しかし、何故ことさら人種差を論点として持ち出すのだろう。

人によっては「海外データ=白人データ」のようなイメージを持つ人がいる。そういう文献もあるが、これは多くの場合誤りである。これは実際にいくつかの論文を読めば分かることだ。文献内には、多くの場合「どのような人に対して試験を行ったか」が書かれており、そこには人種も書かれている。例えば「白人〇%、黒人◯%、ヒスパニック◯%、アジア人◯%」という具合である。従って、海外データ=白人データと同じ意味ではない(いうまでもないか)。そして人種差も考慮して重み付け平均をとっていたりするわけだ。

仮に日本人のデータが全くなかったとしよう。そうだとして、何を拠り所に治療方針を決めるのだろうか。多くの場合、医療現場では、人種は違えど同じヒトのデータを最も近い拠り所としてことを進める(はずである)。何も判断を決める根拠がない中でことを進めるよりも今もっとも信頼度の高い海外データを使う方が良いのではないだろうか。もし可能であれば、それと併行して日本人のデータを集めて、外国人と日本人で薬の効き方が異なると分かったら、それに合わせて方針を変更すれば望ましいだろう。

もっというと、人種差は個人差、個体差という大きな枠の一要素である。男女差、年齢差、病態の差などさまざまな違いがある。その一要素として人種差を考慮することは大切である。実際に、代謝酵素の違いなどで薬の効き方が異なるものがあり、薬物動態学の理論でそれが説明されているものもある。従って、薬物動態理論から予め差が予測できるのであればそれに応じて薬は投与される。東洋経済の記事は、そうした大きな枠の中から人種差をことさら問題にしており、恣意的である感が否めない。

そもそも研究結果は研究に参加した人たちの平均値であって対するものであって、日本人データであろうと、海外データであろうと個別の患者に適応するには個別的な適応を当然考慮する必要がある。人種の問題は、そういう当たり前の問題の1つだ。科学的根拠といっても、目の前の患者とは異なる集団での平均値に過ぎないのだから。

別の視点から考える。人種間と人種内どちらのバラツキが大きいかということだ。太った60歳の日本人と、やせた10歳のアメリカ人とでは欧米のデータであっても前者の方が当てはまる可能性だってある。人種間のばらつきは、人種内のばらつきに比べて小さいというのが普通で、人種をことさら問題にするのは違和感がある。余計と思いつつも書くが、日本が単一民族国家だからこうした議論が出るのかもしれないが、将来外国人が国内に増えても同じことを言い続けるのだろうか。こういう意見に対して思うのは、「国がそんな重要な要素か」ということである。

では、遺伝子診断技術を用いて先にタイプを調べてから治療にあたってはどうかという意見もあろうかと思う。一般のイメージとしては、遺伝子診断を事前に行えば人種差を越えてそのヒト個別の医療が実現するのではないかということである。医療機器メーカーで乳がんの遺伝子診断機器を販売していた経験のある同僚によれば、遺伝子的診断技術でも確率論的モデルを拠り所にしているようである。遺伝子診断に関しては、怪しい業者も多く、あまりにも安くやるところだと正しい結果がでない可能性がある。ニューヨークタイムズに3つの業者に頼んだらそれぞれで全く異なる遺伝子診断の結果が出たという記事が以前あったが、恐らくはいいかげんな業者であったのだろう。質の高い業者であればストーリーは全く異なったかもしれない。

因みに、調べることが出来る遺伝子の数をウリにしているところもあるのだが、乳がんの遺伝子検査機器を扱っていた彼によれば、その数自体は参考にならないそうである。何故かと聞いたら「どの遺伝子がどう相互に関わりあっているか分からないから」と言っていた。

さて、特に慢性病に対する医学に関しては、ほとんどが確率論的アプローチで診断•治療されている。確率論は多くの複雑な現象に対して、我々がとることができる最良の手段であるはずだが、多くのヒトが直感的に理解できなかったり受け入れがたい概念であるせいか別の怪しい治療法に頼ってしまうヒトが多い。因みにあなたは将来この病気になる可能性が高いと言われて、そうならなかったとしてもそのモデルが間違っていることにはならないが、ヒトは100%よいものを求めがちなのでやはり残りの可能性にかけたくなるのかもしれない。

確率論が正しいアプローチと言っても、因果関係を統計的に導くのは、とてつもなく大変なことである。そのため、臨床試験でもあの手この手でバイアスを排除する試みをするのである。過去のデータで良さそうでも、未来でうまくいくかは分からない。そうこうしている内に、また新しいアプローチが出たりする。まったく大変な話である。

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